結局、朝の5時まで話し込んで寝た私たち。
1日はお昼頃に起きて、朝ごはん食べたら、義弟さんが車を取りに行かければならなかったので、義弟さんの家までお迎えに行ったのですが、
その前に、夫がトイレに行っている間に、
姑さんに、「今日帰る?とれとも義弟さんの家に泊まる?ここに泊まる?今日、大きなお肉を焼こうと思ってるからそれ食べて欲しいから、明日帰ったらどう?」
と聞かれる。
いつも思うのだけど、泊まるかか行くかは、家は夫が決めているのだけど、みんな私に決定権があると思っている。でも、運転するのは夫だから、家は夫に決定権がある。
行かないとなった場合になぜ私のせいになるの?と何度となく思う。まあ、息子は母親に会いたいはずだと思うからそうなのでしょうが。
で、結局、この日も泊まることになって。
昼間は義弟さんのお家で話したりしていて、車を取ってきて、それから家に戻って食事をしたのですが、夫、義弟さんの家、3部屋あるのだけど、1部屋は仕事用と屋根裏部屋を寝室にしているので、泊まるとなるとソファーのあるリビングになるから嫌だとか言って、結局は、義実家に宿泊しました。まあ、義実家だと地下に1部屋プラスのバスルームがあって、そのまま使えるので気楽。
義弟さんとしては、お兄ちゃん大好きだから、家に泊まりなよ!とずっと言っていた。
義弟さんのアパート、賃貸ではなく買ったらしいのですが、外国人が多くて、エントリーから異様な匂いがしていて、葉っぱの匂いもすごいし、(ドイツ解禁されたしね)カレー?トルコ料理かな?もしていて、きつい感じがした。なんだか、中東系の音楽が爆音でかかっていたし、前来たときは感じなかったけど。
さてさて、1日はドイツは全部閉まっているのでやっぱり、出かけるならクリスマスシーズンが楽しめるよねと思った。やることが全然ないうえに、レストランが開いてないから、家でのみの食事となし、散歩してもカフェすら開いてない。
とこんな感じでした。
ご飯の後に、またお話して、みんなで映画見て寝て翌日の午前中に向こうを出てきたので、もう疲れて眠くて仕方なかった。
でも、今回は夫しっかり約束を守ってくれました。ずっとそばにいて、姑さんと二人にしない!というのをちゃんとしてくれた。なので、今回はお舅さんとたくさんお話をしたけど、姑さんとは夫同伴でレシピを聞いたり、少しお話した感じでした。
少ししか話してないけど、私が夫とドイツ語を話していたら、私の言葉を聞いてちょっとからかってきたというか、彼女の中ではドイツ語が全くできない私のままなので、私がドイツ語を話すがの不思議なのかもですね。
しかし、今回、姑さんさすがに反省していたようで、それがすごく伝わってきた。夫と別れ際に姑さん、涙ぐんでいたし義実家に泊まって、いろいろ過去のことを思い出した。
はじめ、姑さんと仲が良くていろいろ、話したこと。してもらったこと。なんか、感じるものがあったし、自分自身も少し反省した。病んでいたので、特別に考えすぎてしまったかもしれない。確実にB2のクラスで鍛えられた私のメンタル。
今の学校に通て、ポーランド人の先生にそういうヨーロッパの人のメンタリティーを教えてもらたときに思った。前よりは自分も少し成長して、きつい出来事も受け要られられるようになった。
それにしても、ずっと戻りたかった、場所だったけど、今住んでいるところのほうがいいなと感じた。家の地域って、外国人が外国人に仲間意識があって優しいのだけど、夫の実家のあたりって、外国人が外国人にマウント取る感じで、買い物してても嫌な感じだったなと。
そんことをいろいろ感じた年末でした!
しかも、すっごい寒かった。よく北海道や東北の人が東京に来ると寒いというけど、その気持ちが理解できた。風があるからか、外はものすごく寒く感じる。部屋も気温がそこまで低くないと暖房つけないからずっと夫と二人でさむがっていた。(笑)
うちのほうだと、マイナスが当たり前だけど、5度あったらわりといけるなと思い、7度で暖かいかもと感じるのだけど、義実家のほうは10度でも寒く感じた。風が強い地域。
しかしながら姑さん、みんなで映画を見ているときに、体中が痛いと言い出して先に寝たのだけど、息子二人ともへー。って感じだった。だ、誰も心配しない。
いつも、痛い痛いと大騒ぎするので、息子たちは慣れて、へー。あっそう。的な。
オオカミ少年みたいな感じに思っているのでしょう。
そうですね。自分の後悔のために、一応の和解はしたけど、前みたいにはならないつもりです。距離を置いて夫を通して、疎遠ではなく、ほどよい距離で接していきたいです。
聞こえないふりしたけど、私が聞き取れなかったときに、
何年もドイツにいて聞き取れないとあり得ないとか言ってた。聞こえてますから。
夫が、睨んだら、黙ったけど。そうそう、人は変われないのです。
それでは!Tschüss